百鬼夜行 陽。 

京極夏彦さんの新刊、


百鬼夜行 陽 がこないだ発売になったよ。



まだ半分しか読めてないけど、


やっぱり京極さんは、いいね。



なかなか読む時間が取れないのが悲しいけど、


久々新しい本を読めて満足です^^;


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[2012/03/21 18:38] 本を読む。 | TB(0) | CM(0)

陰摩羅鬼の瑕。 

最近とても心というやつが疲れ果てていたので

自分に休息などと贅沢なものを許してみた。


その間に読んだ、
大好きな京極夏彦さんの「陰摩羅鬼の瑕」。



概念、というのは
人に依って微妙に実際違ってるんだと思う。


死、というものの概念。


それは
例えば人それぞれ少しずつ
意味合い的に違っていることがあるにしても
そう大きくは変わらない。


全く人は、
それをどこで学んできたんだろう。


ほとんどの人たちが
死、というものに対して
そう遠くない概念を抱いている。


その、死の概念が
大きく違ってしまっている人の
悲しい事件の物語。


死に限らず、
あたしたちは
概ね他者と似通った概念を持っていたり、
大きな齟齬がないばかりに
持っているつもりになっていたり、
その上で「常識」なんていうルールを作って
わかったつもりで生きている。


だけど実際は、
愛して一生を共にしようと思えた人にも
些細な相違を感じて落胆することがしきりだ。


仮令兄弟姉妹でも
同じ腹で同じ種に依って出来たというのに
話しが通じない時がままある。


そもそも、
自分じゃない誰かなんかと
通じ合えると思い込むほうが
きっと間違いなんだと思う。


長く一緒にいられたところで
それはギリギリの線でお互いが
譲り合ったり、
観念したり、
諦めたり、
しながら保ってるものではないかと思ったりする。


人が居る分だけ、
秤、というのは、ある。


自分の秤だけが正しいだなんて
思い込んで生きることは愚かしい。


持っている世界が小さすぎる、
という意味でも

自分という器を磨くことを拒否している、
という意味でも、。


それでも頭ではわかっていても
実際あたしもそうそううまくなんかは
いかない。


我が強いばかりに
自分以外の秤を否定しようとしてしまう。



人には誰しも瑕がある。


それは時に人間関係には邪魔になるほどの
大きな瑕の場合もある。


だけれど、

その瑕もひっくるめて
向き合う決心がなければ

その人を愛する、ということには

きっとならないんだと


最近になって
やっと少し思った。


それを全部自分の物に出来たらこんな風に

心が疲れて

休息などしなくてもいいあたしに

なれるんだろう。


きっと、。



[2010/04/06 21:05] 本を読む。 | TB(0) | CM(0)

これが、100万回目の、生。 

2年半前に別れた、
人生で初めてきちんと人を愛そうと思って向き合ったオトコが、
付き合い始めの頃、「これ読んでみて」と
あたしにおもむろに差し出した本。

「100万回生きたねこ」。


100万回生きたねこ。


あたしはそれを彼の前で読んで、
ココロに何かが充ちて、
話すコトができなくなった。


あたしはそもそも「愛」というものについて、
自分なりの解釈を持っていて、
そしてそれが欠落しているカンケイなど、
欲しくないとまで思っている。

それは男女間にも言えたコトで、
だから「恋多きオンナ」だとか、
「オトコにだらしないオンナ」だとかいう風に
誤解をされてしまう。


あたしは常に、あたしに手放しで愛させてくれる
誰かを探し続けていただけで、
たくさんの経験や、
それを探す放浪など、
したくてしているわけではない。

この人だった、と思える人に出会うコトや、
この人でいいや、と諦めに撤して生きるコトが、
あたしの人生に於いて、
起こらなかっただけなのだ。


一度で見つけたヒトや、
他人を傷つけたり、
そして自分も傷つかずに手に入れたヒトは、
運の良さに、素直に羨ましいと思う。



だから、
あたしは、
探し続けた。

それは、
ツラかったり、
悲しかったり、
痛かったり、
寂しかったりする旅で、

決して楽しくできるもんじゃないコトだけは、
確かだと思う。

自由でいいね、とか
いろんなヒトと付き合えていいよね、とか
よくまぁオトコが切れないよね、とか
羨ましさの仮面をつけた非難をあたしは
受け止めるたびに小さく傷ついて、
反論のコトバを微笑みで殺したけど、

あたしはそれだけ、
欲しいものに一生懸命向き合ってるもの。

手にしたいから、
頑張ってるから、
痛い思いだって誰よりしてるもの。



これをあたしに読ませた彼は、
少しは求めるものは同じだったのかもしれない。

mailで「あたしはあなたの、しろねこになれるかな」
って送った時には、
あたしも、彼も、
自分たちが物語の主人公たちだと思えてた。


だけど、
あなたのしろねこは、
あたしじゃなかったね。


最後には、傷だらけに、なったよね。




それからあたしはまた、
手負いのまま血を流しながら流浪して、
そして安住の地をとうとう手にした。

それは、他人の、
またそうじゃないスケールで量られたら、
きっと俗外の話なんだろう。



カレは、あたしにとって、しろねこだ。


あたしはカレと出逢ってもう、
生まれ変わるコトは、
ない。




[2007/06/27 16:31] 本を読む。 | TB(0) | CM(0)

邪魅の雫。 

京極夏彦さんの「邪魅の雫」、
家ではとても時間がないので、
会社持ってって昼休みに読んでた。

しかしながら、
ご飯食べた後は、くそ眠くって、
結局昼寝しちゃったりして、
(13時過ぎても寝ちゃったりして
実に1週間もかかってしまったよー。

でもでも、
やっぱ、面白かった。

あたしはその本が面白いかどうか決まるのは、
結末にある、と思っている。

途中がすんごく面白くて、
やめられないー!!って朝方まで読んでも、
結末で、なんじゃこりゃ、と思うことも多々ある。

あたしの本の面白さの決め方は、
読み終わった時に、「ぞぞぞ」と来るかどうか、
というトコロにある。

「ぞぞぞ」というのは、
体中に、鳥肌が立ってる音なんですがね。

京極さん(馴れ馴れしかったり)のはね、
あたしにとって、まさにそれです。
このシリーズ、どれも。

てゆかうね、
人を褒める言葉をあたしはよくわかってないけどね、
とにかく、
好き

そんなカンジ

中身もさることながら、
素晴らしいです。はい。

もしあたしだったら、
自分で書きながらこんがらかっちゃいそうだし。

言葉も知ってるし、
頭のいい人なんだなー、とか思っちゃう。

登場人物、それぞれちゃんと
個性がしっかりしてるじゃないですか。
そしてひとりひとりの心が書けているというか。

(ナマ言って、スンマセン

とても、ひとりの人が作り出したものとは思えない。

時々ね、
京極さん自身はこの中の誰に近いんだろう、
とか考えちゃう。

実は、すごく別々の個性に見えている、
その誰もが少しずつ京極さんなのかなー、とか。

だったらすごい、幅広い人だなぁ、って思ったり。


今回の「邪魅の雫」、
あたしにとって少しだけ、ほんの身近で、
なんだかちょっと怖かった。

でも、あたしは、
あたし自身が、
笑っていられる幸せが欲しいぞ、
とか思った。



[2006/11/01 23:42] 本を読む。 | TB(0) | CM(0)

姑獲鳥の夏。 

京極夏彦さんが、大好きで。

シリーズは1年に1回ペエスでなぜだか読んでいるんだね、これが。
何度も読んでいるんだけど、惹かれてしまうんだね。

正直申しますと、映画は、あたしには、ちよつと、あんまりでした

やっぱり文字のマジックというんでしょうか。
文章でしか味わえないものが姑獲鳥にはある。
できればあたしも衝立のある部屋(書庫?)を覗いてみたかった…。

たぶん、普段人の顔も、名前も、景色も、状況も、
自分の周囲にあるあらゆる物に執着せず、無頓着に生きているあたしも、
関口先生と同様、きっと見えなかったことでしょう…。

というより、あたしは周囲の状況を把握するべくノーミソの部分が
おそらく欠損しているのではないかと危惧する毎日…。

何度でも話したい嬉しい事はあたしに話して!!
と常々周囲の方々に吹聴している。
それは何度聞いても
「えー、まじでぇ!!」
と驚き、悲しみ、一緒に喜んであげることができるからに他ならない。
お年寄りの話し相手向きだな、なんて思ったりする昨今。

てか、話が大幅に反れた。

姑獲鳥の夏。
[2006/03/06 16:44] 本を読む。 | TB(0) | CM(0)